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相撲、テニスを中心とした雑記。 脈絡のない内容多し。
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2017/11/25 (Sat) 16:34:01

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No.112
2011/07/30 (Sat) 21:43:05

 まずは曙。6-25。
対戦成績の通り、ほとんど通じなかった。
一番の苦手であり、大関昇進を阻んだ一番の壁と言っていいでしょう。
両手突きで立ち合い起こされ、得意のたぐりも上手く行きませんでした。
最初の魁皇が押し出した平成6年春と、最後の曙が突き出した平成12年九州がより思い出されます。
 
 
貴乃花。12-27。
熱戦にはなるが、上手切り、巻き替えなど技術の差で貴が寄り切るといったイメージ。万策尽き、諦めきった魁皇の表情が懐かしい。平成8年になるまでは1勝11敗と全く通じなかった。だが八年には2勝3敗と善戦。この年70勝5敗の貴乃花に上手投げ、寄り倒しと真っ向から土を付けた。右上手を引いた時の強みに感嘆した記憶。
その後も低迷期に入った貴に何度となく勝ち、平成12年の3連勝では地力が逆転したとさえ思わされた。大関昇進後に一度も勝てず、4連敗で終えたのは不思議に思える。
 
 
若乃花。14-15。
終始、関脇以下魁皇-大関以上若乃花の顔合せだが勝ったり負けたり。当時の地力はほぼ互角だったのか。若が上手く両筈に入り、押し出した一番が記憶に残っています。
 
 
武蔵丸。20-26。
武蔵が2戦目から5連勝。しかし直後魁皇が7年から8年にかけ、7連勝。出足に欠ける武蔵が魁皇のたぐり・ひっかけに蹈鞴を踏み、料理されていた。直後武蔵が7連勝するなど前半は勝ち負けが分かれていた。
その後は魁皇の11勝12敗と互角の勝負。魁皇の13名古屋の優勝を決めた上手投げ、12九の起死回生一本背負い、武蔵の強さが際立った14春の押し倒し(魁皇が逃げに逃げても武蔵が付いてきた)が印象深い。


 
朝青龍。12-25。
16年までの最初の18回は9-9の五分。その後は3勝16敗と歯が立たず。15年辺りまでは組みざまにかっぱじいたり、上手を取り圧倒したり見ごたえのある勝負でした。この頃の魁皇は朝青龍、千代大海、栃東の上位陣に相性が良く、優勝争いを掻き回していました。17年以降は朝青龍が左四つ、魁皇に上手を与えぬ体制を作り圧倒していました。朝青龍に衰えが見えた19年以降、3回勝っているのは立派。上手出し投げ×2、小手投げと何れも右からの技。
ベストバウトは二階椅子席から見た15年夏です。両差し狙い失敗の朝から簡単に左を差し、上手も取り十分な魁皇。そのまま邁進し東土俵に投げ捨てました。あの割れんばかりの大声援、脳裏に焼き付いて離れません。


 
白鵬。6-27。
16九州ではまだ平幕の白鵬に寄り倒され、白鵬大関昇進後から実に17連敗。朝青龍以上に勝つのが困難と思わされました。左四つには組めるも、決して上手は取らせてもらえずじりじり寄られていました。
しかしこのままでは終わらず、22初と23夏に一勝ずつもぎ取っているのは驚嘆のほかありません。22初は立ち合い代わりざまのたぐりから押し出し。23夏は頭を付ける執念を見せ、右上手を引き付け体ごと靠れ込むように寄り切り。まさしく魁皇最後の意地を見せた大一番でした。
 
つづく
 
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