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相撲、テニスを中心とした雑記。 脈絡のない内容多し。
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No.67
2010/12/20 (Mon) 21:29:13

 http://www.sanspo.com/sports/news/101215/spf1012151825002-n1.htm

土佐ノ海が引退を発表しました。

三十八歳の年齢、最高位関脇の実績、幕下落ちが濃厚な状態、
衰えの見える体と相撲振りともなれば
限界まで燃え尽きた土俵人生だったと言えるでしょう。

その取り口は、立ち合い「ゲフッ」
と声を発してのぶちかましで先手を取り、また身を屈め相手にぶち当たり押していく馬力相撲。四つは右四つで、左上手を引けば安定感のある攻めも見せ、齢三十を超えた辺りからは殊に右四つの相撲が目立ちました。
やや下半身が寂しく上半身偏重の身体付きで、前に脆く、
勢いよくダイブする相撲も目立ち、千代大海・栃東等大関に飛ばれて負ける相撲が思い出されます。

幕下付け出しからトントン拍子に番付を上げ、
平成七年いきなり平幕一桁に入幕し、すぐ関脇に昇進。三役常連となるも、負傷休場で番付を下げる。しかしその場所平成十年九州に琴錦と優勝を争い十二勝を挙げ、勢いそのままに四場所連続金星を獲得。
当時絶不調とはいえ貴乃花をカモにし、
毎場所のように仰天させていました。この頃勝ち越しは続けるも、番付運が悪く小結に留まっていました。私が考える土佐ノ海の全盛期はこの頃か。

その後忘れてはならないのは平成十七年、
三十三歳にして関脇に復したことであります。この頃は右四つの相撲が目立っていました。年とともに突き押しから四つ相撲へと、若二瀬のような変化だなあと感じたものです。

そして土佐ノ海の相撲で最も思い出深い一番といえば、
私は平成十四年名古屋の千代大海戦を推します。
この場所十四勝を上げ優勝した千代大海に、
唯一の黒星を付けた一番。
立ち会い互角に当たり合い、たまらず千代大海が引くところをすかさず押し出した、土佐ノ海会心の相撲。
小結で二桁勝ち星、六回目の殊勲賞を獲得。


最後に。この年まで現役を続けた土佐ノ海も怪物なのですが、
同い年で大関を張る魁皇はどんな化け物なのかと、信じられない気持ちです。
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気が付いたら社会人になってしまった。

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